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黙殺されたデモと幸せの箱


去る10/2(土)、東京・渋谷で、昨今の日本の情勢に対する大規模なデモがありました。NHK前をスタート&ゴールとし、駅前や表参道なども通り、かなり盛りあがったそうです。
日本人の、常日頃からこうした活動に身を置いているわけではない一般の人々がこれだけの規模で立ち上がったのは、近年めずらしいこと。基本的に、声高に主張をするより、できることなら互いを尊重して仲良くやっていきたいというやさしい性分の日本人。それも、日々の生活や仕事に追われるなか、それでも日本のために黙っていられない、と参加した方々の姿は胸をうちます。

ところがこの件、ロイター、CNN、AFP、WSJ、韓国、台湾、タイ、ベトナム、シンガポール、オーストラリア、チェコ、ブラジル、イラン、クウェート・・・などなど世界各地で(当の中国でも!)報道される中、日本のマスコミだけが一斉に黙殺したと話題になっています。
事前の告知も届け出もしてあって(米WSJと仏AFPはこれを受けて10/2以前から予定も報道)、視聴者の関心も非常に高い話題だから視聴率もとれるはずなのに。
あまりにも不自然なので、マスコミの情報統制では、という見方も多くあります。

動画
http://www.youtube.com/watch?v=zrrYUDqrjbk
良心ある産経新聞ワシントン駐在記者さんの記事
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/1826323/


(この件の真相がどうであったとしても)
日本はなまじ言論の自由が保証されている(というイメージがある)ぶん、国民は、報道されているものもついつい「事実」「現実」として額面通り受け止めてしまいがちだけれど、マスコミも営利企業だから中立ではありえないということを今一度理解しないといけないですね。(うすうす判っていたけれどもう少し信じたかったというところかも。ちなみに、中国では言論の自由こそ制限されているけれども、それは公然の事実で、国民もある程度政治的な宣伝だと了解しているそう。ある意味逆転現象?)
こうしたマスコミの立場と姿勢を識った上で、それでも扱ってもらおうとするなら、今回あらためて見えてきたものを踏まえて傾向と対策を練らなくては。ほんとうは、「日本のため」という共通の目標に向かって共闘できたらすばらしいのだけれど、それをさまざまな事情や思惑やしがらみが阻んでいることは明白なので、手強いクライアント相手に企画書をつくってプレゼンするような感じで。
今回の件でメディアや世間に批判や疑問を投げかけるのももちろん大切。問題意識は共有したい。でも、情報を受け取る側も甘えてはいけないのだと思います。特に、既存の仕組みを脱却しようとする立場で、既存の仕組みに過度の期待をかけるのは無理があるかも・・・その矛盾こそが、信じたいという気持ちの表れなので切ないけれど。
(それにしても、反日デモは小規模でも取り上げるのに比べてずいぶんバランスが悪いと思うし、横並びで黙殺というのはやはり怖ろしい。「国民の知る権利」を追求すると標榜しているのに)

そして、こうしたデモやイベントは、大規模になるほどに個人個人の思想の濃淡、左右の揺れが多様化してくるかと思います。
そこを、意に染まぬかたちで利用されないように気をつけないと、今後せっかく報道されても、激しい部分だけを切り取られて極端な思想として普通の人々から遠いもののように編集されてしまうことがあるかも。実際に過激な一派が宣伝に使うこともあるでしょうし。

なにが客観的で偏りのない思想か、というのは難しいけれど、戦後日本は長いこと左派系の思想や教育が強かったから、普通に、国民としてあたりまえに「この国が好きで」って言っただけでも(真ん中に戻っただけでも)右寄り扱い=右翼=過激、というレッテルが貼られがちなのが残念なところです。(マスコミでも、左寄りの団体は「市民団体」、右寄りだと「右派」「右翼団体」って表現になるし)

何もかもをいっぺんに変えていくのは難しいので、そのへんを冷静に賢く見極めながら、でもこの火は絶やさないように、活動が盛りあがっていけばと思います。たとえばデモに、日本のすてきなところを再認識できるようなさまざまなイベントを絡めたりして。私も自分の立場で、がんばりたい。


それにしても「MOTHER3」は深かった・・・ 既存の価値観を捨てた平和な世界に、「幸せの箱」TVが配られ始めたところからおかしくなってくる、という。さすがは糸井さん。
それをいえば、「ドラゴンボールZ」セル編とその後で、Mr.サタンが世界を救ったと信じて疑わない市民たち(多少の矛盾や人智を越えた理解できないものは見て見ぬふりをして)、そしてMr.サタン本人にも無許可で、Mr.サタンがセルを倒すドキュメンタリー風の映画を創作したりするマスコミ。
ゲームや物語の世界にはこうした「だまされる庶民」の描写はあふれているのに、そしてそれは絶対に現実世界をモデルにつくられているのに・・・。
もちろん、現実とフィクションを切り離して捉えるのが通常の大人の感覚だけれど。フィクションの中で味わった恐怖や焦燥は、ものによっては現実世界に持って帰って、それが対比で現実を味わい深くしてくれるのを楽しむだけでなく、警告として手元に置いて戒めにしたいものです。

とはいえ、現実の「幸せの箱」にはいいところや大切な役割もたくさんあるし、「箱」自体には何の罪もない。
箱が届けたり描いたりしてくれるものは、「幸せ」そのものではないから、そのまま受け取ってもしかたない。じょうずにつきあって、個人個人の思い描く「幸せ」のためのヒントにできたらと思います。


おまけ。
アメリカではマスコミ批判のデモもマスコミが報道したそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=VH4E912Cerc


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