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20世紀のポスター[タイポグラフィ]―デザインのちから・文字のちから


東京都庭園美術館で開催中の、20世紀のポスター[タイポグラフィ] —デザインのちから・文字のちからに行ってきました!
庭園の芝生広場で相方氏にちびさんを遊ばせてもらっているあいだに、私だけ美術館の中へ。

旧朝香宮邸がそのまま美術館になった、東京都庭園美術館。これまでに取材やプライベートで何度も訪問してきたのですが、他の美術館と違って、その一回一回の記憶が、建物の石にしみ込むように残っていて、訪れるたびにどんどん空気が濃密になるような感覚があります。
特に、「庭園植物記」のレビューでお伺いしたときの印象は未だ生々しいまでの手触りで残っており、1階の大客室と2階に昇る階段のあたりには、紅色の気配がじわじわと滴るように滲み出していました。


以下、心に残った作品。

◆テオ・バルマー「バーゼル国際事務用品展」1928
鏡映しになった「büro」という単語が、強烈なエネルギーで画面を支配する、展覧会のタイトルにふさわしい威力を持ったポスター。文字にうちのめされるのって気持ちいい。

◆ヤン・チョヒルト「構成主義者展」1937
余白を多く取った、線と円に文字を絡ませたデザイン。一見穏やかに広がる白い地に、配置をさぐる快感と苦悩がせめぎあっている気配があってたまらない。

◆ヘルベルト・ロイピン「シュタインフェルス石鹸、お徳用」1943
「魔術的リアリズム」の本領発揮という感じの1枚。力強いのにどこか清潔な美しさがある、ロイピンの魅力にうっとり。

◆オトル・アイヒャー「造形芸術におけるファンタジーとグロテスク」1955
大学の講座の告知ポスター。不穏にうねる「形」、ぶつかり合う「色」、そこに落とされる「文字」。

◆アルミン・ホフマン「ヴィルヘルム・テル」1963
荒れた飛び気味のモノクロ写真の林檎に突き刺さる「TELL」の文字。どこかただの美談では終わらない、このエピソードのきなくささが感じられる画面。

◆アルミン・ホフマン「エル・リシツキー展」1966
黒い地に巧みに配された白いアルファベット、そしてその内に格納された文字たち・・・「劇中劇」の風情も。

◆アラン・フレッチャー「ART、「すべての芸術作品は時代の子供である−ヴァシリー・カンディンスキー」」1983
組体操のようにバランスをとるアルファベットたちがキュート。手描きの文字との組み合わせも、いつの時代にも色あせない、エヴァーグリーンな印象。

◆カリ・ピイッポ「ウィリアム・シェイクスピア「ハムレット」」1993
「H」のかたちに口をあける奈落・・・シュール!

◆ウッディ・パートル「Y」1994
のこぎりで斬られようとしている「X」の図。「Y」は、自分が「X」よりも新しくて進化したかたちだと思っているのかもしれないな〜。文字たちの自意識をのぞいてみたい。出番の多い「E」はちゃきちゃきした自信家、「Q」は変わり者だけれどおしゃれなおじさん、「P」はうわさ話の好きなおばさん。そんなイメージ。


ポスターやそこにあしらわれたタイポグラフィは、時代の子供のような顔をしながら、実は次の時代を呼ぶ役割もしていて。電車の連結部分の鉤のような、目的に沿ってかたちづくられた形状と、ぬうっと表れてくる存在感が楽しかったです。

順路の途中、2階のベランダから庭園が見えて、大はしゃぎで転げるように芝生を横断してゆくちびさんを目撃。西陽に照らされて髪の毛がきらきら輝いていて・・・なにか、完璧に閉じた幸福のアイコンのように見えて、ちょっと怖くなりました。その場でずっと眺めていたいような心地と今すぐ美術館を飛び出して駆け寄りたい気持ちに引き裂かれかけ、結局、急ぎ足で観覧を終わらせて、紅い気配を蹴散らすように階段を駆け下り、地面に足をつけて、ちびさんのもとへ向かいました。


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