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彼女には消しゴム、私にはお菓子。


お仕事の関係で、さる女流詩人の作品集を読む。
昔から何度も目を通してきた詩集なのだけど、その時々の情況によって、まったく違う1冊のような湿度と手触りの変化をおこす一冊。
今回は、甘くて空虚な、波打ちぎわに据えられたシュガーアートのお城みたいな風合いをもとめて開いたのだけれど、手にしたのは意外と実際な感触だった。

ふと、これまであまり気にしたことのなかった、結婚記念日をテーマにした一篇に眼がとまった。
そこに示唆された具体的な日付が、私の結婚記念日と同じだったから。
表現作品におけるそのような具体部と、現実世界で対応しそうな部分をならべて比較することには何の意味もないし野暮だと思うけれど、彼女はこういうところ、あえて実際のところをラフに投げだしていそう・・・「"妻"という言葉のばかげた響き。これはそう、ちょうど"消しゴム"と同じくらいの重さ」・・・ 重きを置いていないから。

どちらにしても、日付の符合、なんだかちょっと嬉しかった。彼女が放り出すものでも、私には軽くなかったり、甘いお菓子だったりする。(記念日が、ではなくて、符合することが)
これまではたしか、大人の明るい諦念の詩として読んだきたもののなかに、薄氷の上に立つほそい2本の足がぶるぶる震えている少女の姿が見えて、ぶるっとさせられたけれど。

女の子ってなんで出来てる? ・・・諦めと覚悟と怯えと・・・挟持。
どんな女だって、そのバランスこそさまざまだけれど、基本的には同じもので出来ているのよ、と言われたような気分。
この作家さんはきっと、挟持の占める部分がおおきいのだろうな。だから美しかったり、格好良かったりする。
私は・・・ 私はきっと、諦めが極端に少なそう。


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誰でもない、どこから来たのでもない男


ちびさん中心で、飛ぶように時間が過ぎてゆく毎日。大変でしょう、と言われることも多いけれど、私には「一瞬でできること」がふたつあるので、ストレスはあまりたまらない。
ひとつは、実写のび太と異名をとるほど、「いつでもどこでも一瞬で眠ることができる」こと。
もうひとつは、「いつでもどこでも一瞬で本のなかの世界にトリップできる」こと。
ちびさんのお昼寝時間や、相方氏がちょっとみていてくれるときなどに、数分でも、立ったままでも、活字を追うことさえできればOK。読むスピードもかなり速く、家のあちこちに読みかけの本を置いておいて並行して読み進めるので、それなりにいろいろ読むことができている。産後に訪れるようになった図書館、カウンターに顔を出すと(スタッフは毎日バラバラなのだけど)、私が何も言わず出さずのうちに「あ、こんにちはー」と、予約しておいた本を持ってきてくれるようになってしまったほど。

ともあれ、そんな日々のなか、大好きなエラリー・クイーンなのに、未だちゃんと読んだことのなかった、「ドルリー・レーン四部作」(「Xの悲劇」「Yの悲劇」「Zの悲劇」「レーン最後の事件」を読破。

「X」「Y」は、比較的すぐに犯人がわかった。でも、動機の点など、序文で「すべてのヒントを開示している」とあるけれど、果たしてそうかしら。ほとんどが、レーン氏の頭のなかという不可視の密室で組みあげられていて・・・「Z」ではその傾向がとくに顕著で、消去法で導かれた結論もそこまで納得のいくものではなく、読者は置いてけぼりのまま、舞台の上で展開されるお芝居を観賞しているような気分になった。

さて、さまざまな論が展開されている、「Y」のラストに残された謎について。
レーン氏が背負ったものを、「積極的に手をくわえて、犯人の末路をつくったこと」とする向きもあるけれど、私は、「Y」を読み終えた時点では、逆に「手を出さなかったこと」、つまり、「犯人が「脚本」の主人公が現実で辿った道筋をなぞろうとするのをあえて止めなかったこと」なのではないかなーと考えていた。(どこかで、犯人にもレーン氏にも、「そこまでではないと思いたい」という心理が働いたのもあって)
しかし、「Z」
(あまりおもしろく思えなかった(>_<) 若い女性、それも自分の若さと美貌と知性に自信をもっていてあまつさえ武器として使おうとしている、でも肝心のところでは未熟でひとり危機に陥り男性の助けを求める・・・の一人称なんて、普通だったら避けて通りたいところだし。とはいえ、「最後の事件」の彼女の存在のためには、読んでおくべき一冊。ただ、前述のように推理もいまひとつ説得力がないし、なにより幕切れの後味が悪すぎる)
を読んで、レーンが元俳優で変装の達人=劇場型人間であること、それもかなり独善的な・・・であるという印象を深め、漠然とした不安が芽生えた。
そして、「最後の事件」のあのラスト。
やっぱり、彼は「手を貸した」のかもしれない。そして、「Y」のときから、いずれ「Y」の「脚本家」に倣おうと、ずっと考えていたのかもしれない。(すぐに実行せず、最後にひとつ大役を演じてゆくあたりが、なんともいえないけれども・・・)

おだやかな物腰、達観したような視線から、仙人のような人物像を想像しがちだけれど、実はプライドも虚栄心も現役のままで、どろどろに人間くさい、それがレーン氏なのかもしれない。彼の美学は私には醜悪なものに感じられる。それが、美しい館の風情と怖ろしいようなコントラストを成していて、最後まで読み切った人の心にどすんと圧しかかるように根を生やすような奇妙で重たい感動を呼ぶ。


それにしても。
・ドルリー・レーン氏=クエーシー
・ドルリー・レーン氏は何人(何代)かいて、実はとても若い
という仮説もたてたのだけど、ロマンチックにすぎたかな。

そして、

あくびを連発していたために私に疑いの目を向けられてしまった人。ごめんなさい。


あるいは真相は、それこそ「誰でもない、どこから来たのでもない男」が、舞台を去るのと同時に持ち逃げしてしまったので、永遠に判らないということなのかもしれないけれども。


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かぎりなくいとおしい、どうしようもなさ


中島京子さんの「FUTON」、おもしろかった〜! 
原作の「蒲団」は中学生のときに読んだきりだったので、図書館で借りてきて並行して読んだのですが、ほんとうに愉しい、"体験"という実感のある読書になりました。なまなましく浮き彫りになってくるもの(情けなさや滑稽さ)に、しっかりと自分の手で触ることができるような心地。
原作が二倍にも三倍にもおもしろくなる、こんなにすばらしい本歌取り、花袋も震えるだろうな〜(喜びと、ひょっとしたら畏れで)。

それにしても、「蒲団」の、昔と今との読後感の変化にびっくり。主人公に苛立ちを覚えるのは一緒なのだけど、依ろうとする登場人物が、芳子ではなく奥さんのほうになっていたのです。そのぶん、苛立ちは複雑で凶暴なものになり、主人公が空回りをするたびに残酷な悦びめいたものが、暗いところからぐんぐん滲み出てきて、我ながら醜悪!でも愉しい!という状態に。
そして、「FUTON」は、奥さんに思い入れのある人ほど楽しめる構造なので、名や実を入れてもらった彼女の活躍(精神的暗躍)に感じるカタルシスは大きかったです。
しかし、最後に、そんな彼女の心に一滴のインクが落とされ、みるみる広がってゆく・・・ 登場人物の"カッコわるさ"を愉しく眺めていたはずなのに、自分の"カッコわるさ"がすっかり暴き出されていたことに気づかされる瞬間です。

「蒲団」と重なるエピソード以外にも、記憶や幻想が重なりあったところに立ち上がる街の姿や、脇役の悲哀など、たくさんの"どうしようもなさ"がみごとに描かれていて、そのどれもが心の、個人的なツボをぐっぐっと押してきます。押されるたびに少しずつ、諦念まじりのいとおしさのような明るい感情が溢れてきて、前述の残酷な悦びを中和してゆくのです。

そんなこんなで、とっても気持ちのよい作品です。未体験のかたはぜひ!



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終わらせたくない


読みかけの長編推理小説。

1つめの殺人が起こったところで、朝、寝起きでぼんやりした頭に

「誰も気がついていないみたいだけれど、あれが可能だったのはあの人しかいない・・・!」

という啓示がぴかーっきと閃いた。

登場人物紹介にも載っていないのだけれど、絶対こいつだっと確信をもって読み進めていたら、同じく最初から犯人の検討がついているのに何故か手をこまねいている(その理由も推測がつくのだけれど、なんとももどかしい!)探偵さんがぐずぐずしているうちに、2人目、3人目の犠牲者が・・・ そしてやっぱりその現場には、奴がしれっと顔を出していて。いてもいなくても誰もそう気にしないあいつが。

そして現在、いよいよ大詰め。探偵さんが、謎解きをするための舞台を用意し始めましたよ・・・


・・・・・・ページを繰るのが怖いような、そして勿体ないような。

ここにきてまたもや、私の悪い癖が出てきた。

でもこれ、図書館の本なので&この探偵のシリーズものがあと何冊か続いて最終巻ですべてをつらぬく伏線に気づかされるという噂があるので、一両日中に読み切ろう・・・うん。

終わりたくない、でもはやく次を読みたい。だけど最終巻までいったら(もう著者は他界しているので)ほんとうに終わりになってしまうので、進みたくない。しかし、せっかく著者が仕掛けてくれた最後のヤマ。そこまで到達しなくては、この1巻を読んだことにもならないだろう。作家によって完結を放棄されてしまったり、完結前に作家が他界してしまったりという物語もすくなくないのだから、著者に感謝しつつ、その完結した世界を大切に味わわなくては・・・

この世界にある物語すべてを貪欲に食い散らかすように読み尽くしたいという衝動と、ひとつひとつの物語を終わらせたくないという想いの狭間で今日ものたうちまわっている。

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うさぎの眼。




小学生のころ、「イメージの中のうさぎの眼」が怖かった。
飼育委員もやっていたし、生きてそこにいるうさぎ達は可愛くて大好きだったのだけど。
「ガラスのうさぎ」や「兎の眼」の印象かな。
なにもかもを見透かしていて、澄んだ諦念に充たされているような気がして、身が竦んだ。

そんな「眼」が表紙にあるこの「小学生日記」
著者が小学生とのことで、出版されたころ、そのものを見つめるみずみずしい感性を讃える声を多く聞いたけれど、私は、「まなざし」よりも、それを文字に出力する感覚のほうに驚嘆した。しなやかで強く、巧みな、言葉の手綱さばき。

風とおしのよい文章たち。すとんすとんとリズミカルに職人がそばやうどんを切ってゆく音をおもわせる、絶妙な言葉の選びかた、置きかた。媚びも気負いも過度の思い入れもないその身軽なフットワークで、天性のセンスとリズム感をもって、体感のワンテンポ前乗りで生み出されつながってゆく言葉たち。カッコいい。

見るときだけでなく、書くときにも、揺らがぬ「まなざし」が要るのだとあらためて気づかされた。

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未だに入会希望中


小学生のころ夢中になって読んで、「探偵になりたい(殊に安楽椅子探偵)!」という、現在に至る夢を抱くきっかけとなった、アシモフの「黒後家蜘蛛の会」。(女だけれど、並外れた推理力があったら入会させてもらえないかな?と本気で願っていた。)

最近、突然再読熱が盛り上がって、図書館で借りてきて読んでいる。
ところが・・・
もう具体的なエピソードも仕掛けも完全に忘れているのだけれど、あまりにもすらすら謎解きができてしまってびっくり。
無意識下で憶えている、という感触ではなくて。
(登場人物はおろか、つねに謎解き役が決まっていることすら、すっかり忘れていた。ただ、脳が興奮する味わい深さと、後述するお気に入りの存在だけを、長年ぼんやりと抱いてきた。)
おそらく、ミステリというものの仕掛け・謎解きの基本的なパターンを、このシリーズで洗礼を受けるかのごとく学んだからなのだと思う。それを元手に創元推理文庫やハヤカワミステリを読みあさっていくなかで復習を繰り返してきて・・・なんというか、今、最後のチェックテストを受けているような気分。

それでも、おもしろさは昔のままで。そして、私の大好きだったトランブルも、相変わらず私好みで。
そう、数十年変わらない私の好み・・・それは、「語調がちょっと荒っぽくて皮肉のうまい中年のおじさん」。
このところ読んだ本では、朝倉かすみさんの「タイム屋文庫」のシェフとか、好きだったなあ。あと、中年ではないけれど、森絵都さんの「犬の散歩」(「風に舞いあがるビニールシート」内)に出てくる、「酔狂なまね」をする男性もよかった。

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ぜんぶ、私だった。


2009年に読んだ小説で、ここに自分がいる!と、ページを繰る手がふるえたものが二作あった。


長い終わりが始まる

まず、山崎ナオコーラさんの「長い終わりが始まる」
社会に押し出されようとしている年齢の大学生の、"サークル"(という巨大な幻の化け物的なもの)、音楽と、距離と、関係についての物語。
主人公の送る大学生活は、私が過ごしたそれとはずいぶん異なる。熱の集めかたも散らしかたも。性格も違うので、ゆるゆる喪失(見方によっては)してゆくのに具体的に動こうとしない彼女にたびたび苛立ちも感じたけれど、判らないことを判らないまま、無理に消化したり自分のなかに収めようとしない姿勢は、あの頃の私より(ひょっとしたら今の私より)大人であるように思う。

違う、似ていない。
なのに、ものすごく、えぐられる。あの時の私のなかに、この主人公の子や、ここにある空気が、たしかに在った、と遡って確信できる。
いったいどこの地平で邂逅したのだか。それとも、私のなかにあらかじめ在ったものではなく、この小説と私が出逢った瞬間に化学反応で生まれたものが、過去へ飛び火していって彩っているのか。

唯一無二の言葉やフレーズを、ただひとつの適所に配置し、独自の空気や空間を編みだすタイプの作家さんが好きだ。
たとえば、お酒をたっぷり含ませた上質なケーキのようなフレーズをあやつる山田詠美さん。言葉の放つ芳醇な薫りが世界をかたちづくる。それから、毀れやすくうつろいがちなことごとを、繊細なピンのような語句で、清潔で艶めかしい標本のように留めてゆく小川洋子さんや栗田有起さん。形ないものを次元の境を超えて象ることのできる川上弘美さんの言葉たちは、それ自体が不思議な妖怪のような有機性をもつ。江國香織さんが、彼女の美学なのだろう、あくまで素知らぬふりで、実際のところ完全に狙いすまして放つうつくしいフレーズは、撃ち込まれるたびにじわじわと読み手の現実の軸を揺らがせてゆく。

そこへもってくると、山崎ナオコーラさんの小説はとても不思議で、ひとつひとつの文章や言葉に、(誤解をおそれずに言えば)いわゆる質量やうつくしさは、無い。
でも、替えがきかない。
言葉と言葉との間隙に、漠とした広さと深さがある。
読み手を揺さぶるあの空気がそのどこから生まれくるのか、まったく掴みどころがないのに、その"なにもなさ"に捕らえられる。


予定日はジミー・ペイジ

もう一作は、角田光代さんの「予定日はジミー・ペイジ」
ひとりの女性の、妊娠発覚から出産直前までを描いた中編。
これも、私の妊娠出産経験とは、具体的なエピソードで重なる部分はすくない。
しかし、体とその他の部分の境目が引き攣れるようなあの感触。恐怖と歓喜が同等に詰まった風船になった気分。皮膚のすぐ真下で、過去と未来とが寄せては返し、収斂と拡大を繰り返す。「これまで」が「これから」を生むために変化し続ける・・・ 「なんで私しか知らないはずのことを知っているの??」と叫びそうになった。渦中にいたときには味わうどころではなかったあれらが、この小説で、こんなふうに表現してもらって、初めてしっかり実感できたような気がする。
角田さんはこれを著されたとき、妊娠出産の経験はなかったということなのに、あの、脳も心もすべてが身体の内側に引きずられてゆく体験、言葉で表現しようのない体感を、なぜ知りえたのだろう。希有な才能をもった作家さんだとは思っていたけれど、こんな特殊な体験を、言語世界に連れ出すほどに理解できるなんて・・・凄い。  

物語のラスト、産院に入る直前のシーンは何度読んでも泣いてしまう。
そういえば妊娠中の夢は走馬燈めいたものが多かった。生死のきわに限りなく近い場所に、日々立っていたのだ。


ちっとも似ていないのに、たしかに私だった。そんなふたつの物語。暮れてゆく2009年の背中を眺めながら、過去や未来や、さまざまな次元に存在する私たちに、年末のご挨拶をする。


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決めないことに決めた


決めないことに決めた つれづれノート(16) (角川文庫)


「決めないことに決めた」って、今回みたいな感じで政治家が使うとちょっとあれだけれど。
そこまでの積み重ねとそこからを見据えたタイミングで発せられれば、きちんと輝く、すてきな言葉でもある。

それにしても銀色さん、鶏をまるごと蒸した料理と縁がわるいのでは・・・ 著作を読むかぎり、結構な確率で、注文を忘れられたり他のお客さんのところに先に出されたり、と気の毒なことになっている。

そして、「温泉かき氷」のおいしそうなことったら。冬、あたたかくした室内で、かわいた喉をうるおすのに最適なものに感じられる・・・。



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みどりの縁どりのある銀と、幸福な喪失。




銀色夏生さんの「流氷にのりました」
行ったことのある場所や宿がたくさん出てきて、懐かしい心地に。
絨毯も壁も、蟹の出汁で煮染めたような匂いでいっぱいの宿とか・・・ どうも悪い人じゃなさそうな受刑者とか。

そしてなにより懐かしく、はっとさせられたのが、表紙のタイトル部分。まぶしい水色の縁どりの白文字。
小学生のころ流行った、銀色の文字にさまざまな色の縁どりができる不思議なマーカーを思い出した。今の今まで忘れていたのだけれど・・・大好きだった。とくに、みどり色の縁どりができるものが。
折り紙にこのマーカーでいろいろ描き散らして、飾りをつくったり「なんとか券」を発行してみたり、好きに遊んでいたっけ。

高校生になったころから実家を出るまで、北海道には家族旅行で毎年訪れていた。私たち姉弟も大きくなっていたこともあり、にぎやかな観光地ではなく、道東のほうをのんびり、主に自然を眺めるのを目的でまわる旅。
既踏の場所に行くこともしばしばで、まりもの歌の流れる遊覧船や、独特の楽器の音色が一定時間ごとに鳴り響くアイヌの村、リアルな人形造形に圧倒される網走刑務所など、すみずみまで知り尽くすほど訪れた。
近い将来、弟も私も自立して家を出てゆくから、家族4人で旅行する機会も減るんだろうな・・・ と、その漠然としたさみしさをカウントダウンしてゆくような、斜陽の予感を含んだ旅だった。

あのマーカーに夢中になった日々も、あのぼんやりとあたたかい旅も、もう二度と戻らない。
実際にはマーカーは復刻されているし(→こちら)、家族も所帯が分かれたとはいえみな元気だし、再現することは可能なのだけど。
でも、すべてが、あのときとは違う。
どうしても戻らないなにかがある。
それはさみしいけれど幸福ななにか。これからもずっと抱いていくであろう、幸せな喪失の記憶。


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気まぐれな秋と疑似の冬。


去ったふりをしたり、何気なく舞い戻って小春日和を展開してみたり、と気ままな振る舞いをみせる、今年の秋。

とくにここのところ、夜中に集中して作業したり読書したりしていると、ふと気づくと背骨に冷気が張りついていることが多い。あわててカフェオレを淹れてみたり、フリースをはおったりする。

武田百合子さんの「富士日記」を読んでいたら、身体の底からしんしんと冷えてしまった。冷気にみがかれた清冽な風のわたる、山荘での生活が描かれているので。(夏の描写にも、どこか冬がひそんでいる。そう、清冽な印象を残すのは、きりっとひきしまっているのは、筆そのものなのだ。読み手の眼を洗い、視界を明るく晴らしてくれる。)
ほんとうに身体を冷やしてしまうのはいけないけれど、こんなふうにクールな筆に導かれて冬を疑似体験するのは心地よい。

−− 灯油罐は、大体三日で一罐を使いきる。

−− 夜はまったく晴れて、星がぽたぽた垂れてきそうだ。

−− 冬になればなるほど、夕焼のきれいなこと!

(しかし、「深沢七郎さんから頂いた梅を十七本」のくだり。最近、銀色夏生さんの「珊瑚の島で千鳥足」を読んで、「梅女」について思いをめぐらせていたところなので、梅を植えたり育てたりという描写にはちょっとどきどきさせられる。梅と薔薇の絡まる樹・・・イメージの上ではすてきだなと思うのだけど。)



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